2000年12月の三文日記

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□□ 12月31日(日曜日) 大晦日…

 さて、いよいよ20世紀最後の一日である。といってもあまり感慨はない。ひとまず家族で近くのスーパーに買い出しに行き、年越しの準備である。あれが食べたいとかこれも食べたいとか、あまり希望もなく、ぼくは早く蕎麦がうちたいだけである。どれだけ長いのが打てるか、勝負はそれだけである。

 で、結局蕎麦は2回打った。1回目はちょっと水の分量を間違えた。ほんのちょっとだけ、感じとして10cc(粉500gに対して)というところだ。だからなかなか延ばしが美味くできなかった。茹でているとぶつぶつと切れた。一番長くて15センチというところで、味はともかくとして見た目が良くなかった。それで、名誉挽回とばかりに、一息ついて、2回目は紅白歌合戦を見ながら慎重に打った。今度も5cc少なかった。しかし、なんとか30センチ級の長さに刻むことのできる程度のものに仕上がった。味もまあまあだった。

 蕎麦を打っていると実に良い香りがしてくる。その香りが味わいたいためと、そば湯を飲むためにぼくは蕎麦を打つようなところがある。ことしも最後にまあまあの蕎麦が打てた。20世紀の最後を締めくくるに相応しいと自画自賛している。この三文日記。まことにつまらない、くだらない、ためにならない代物ですが、いつも読みに来てくれるみなさんに感謝し、また新年を迎えたいと思います。

 

□□ 12月30日(土曜日) 帰省…

 絶対居残るというタクヤを置き去りにして、ぼくらは郷里に向けて中央道をひた走った。渋滞もなく夕方には家に着いた。途中、駒ヶ根サービスエリアでそば粉を調達し、年末の蕎麦打ちの準備もできた。ただ、一昨日から不調のぼくのお腹。やっぱりビールを飲むとゴロゴロといってくる。仕方がないので、お茶を飲みながらテレビを見るだけだった。岐阜県の山の中である。東京とは違って空気がシンシンと冷え込んでいる。空は満点の星である。

 

□□ 12月29日(金曜日) 大掃除…

 昨日からおかしくなったぼくの胃腸である。起きていれば寒気がする。これはひょっとすると風邪ではないか。しかし、我が家では今日は大掃除である。ぼくは床のワックスがけ。トモカは便所掃除。マサキは窓磨き。タクヤは風呂掃除とガラス磨き。どうも調子が良くないので、ノロノロと動きつつ所定の掃除を終えた。夕食は、わが妻が大掃除のご褒美ということで家の近くにある焼き肉亭『神室亭』に連れていってくれた。5人で元気に家族パック(カルビ、ロース、ハラミ、タンなどがたっぷりある)を食べた。ぼくはお肉は少々でカルビクッパを注文。そうしたら半分くらいマサキに横取りされた。仕方がないので冷麺を追加。またしてもマサキに3分の2を横取りされた。わが妻は石焼きビビンバを追加。タクヤはご飯を2杯。トモカもご飯を1杯。オレンジジュース、アイスクリームと立て続けにクリア。とにかくよく食べた。それでいて料金が10000円。というのは安い…のではなかろうか。

 さて食事も済んだので、田舎のじーちゃん、ばーちゃんのところに帰ろう、という話になったら、タクヤが行かないという。なぜかと聞けば、正月の元旦に友達と初詣に行くというのだ。もう約束しているからだめだという。トモカがいろいろ説き伏せたがタクヤの意志は固く、いよいよこれはタクヤを置いて行くしかないということになったのだが、しかし、いくら中学1年生といっても家に一人で残しておくのは忍びない。それで、出発を遅らせたのである。しかし、トモカもマサキも考えてみればそうだった。友達の方が楽しいからな。それにしても今回マサキが素直についてくるのは、じーちゃん、ばーちゃんからのお年玉目当てであることはいうまでもない。そういうお金でパソコンの代金を返済していかねばならないのだから。

 

□□ 12月28日(木曜日) いよいよ年の瀬…

 久しぶりに千切りの敏ちゃんが『飲みにいこうよ』と言ってきたので、じゃ、行きますかということになった。ぼくの20世紀の仕事は今日で終わりである。机の上を綺麗にして会社を去った。で、飲み屋に入って昨日と同様。ショーチューのお湯割りを飲もうとしたのだが、なんだか突然胃のあたりがむかつき、どうかすると吐き気がしてきた。敏ちゃんはサラダボウル満杯のサラダを例によってワシワシと食べているが、ぼくは全然食べられない。結局暖かいウーロン茶を飲み、つまみはモロキュウだけにした。それでもいよいよ気持ち悪くなったので、これにてお開きということで敏ちゃんと店の前で別れた。今日のお昼は生駒軒というラーメン屋のカレーラーメンにした。20世紀最後の昼食に相応しい食事だ。でも、これがひょっとすると悪かったかもしれない。

 家に帰るとマサキに買ってやったソーテックのPCステーションが届いていた。さっそく梱包を解き、LANカードを増設し組み立てた。スイッチを入れるとなにやらカシャカシャと動いて、WindowsMEが起動した。マサキにはレンタルビデオの店でDVDを借りてこさせ、まずはDVD鑑賞だ。DVDをドライブに挿入するとDVDソフトが起動。実に綺麗な映像を映し始めた。ちゃちなスピーカーも付属になっているが、これがなかなか良い音を出す。いまどき10万円そこそこで、これだけの機能を(CD-Wもついている)持っているなんて驚異的だ。今も子供達はパソコンの前に釘付けである。明日は細かい設定をしてメールを使えるようにしようと思う。あとは自分でやってくれ。

 千切りの敏ちゃんのところの三男(高校生)もマサキ同様いろいろと手間のかかる倅である。しかし、それでも苦労のし甲斐があるのは、彼らが自分の思うところをおこない、自分の世界をそれなりに切り開いて行こうとしているからだろう。その様子がなかなか面白いのである。

 

□□ 12月27日(水曜日) 西に…

 年末ということもあっていよいよせわしなくなってきた。だからというわけではないが、今日は中国の技術者であるBUさんと飲んだ。彼が我が社にきてシステムの調整をしてくれたからである。BUさんは山西省西安の出身である。西安はその昔長安とも呼ばれた中国西部の古都でもある。現在は400万人の人口を抱え、古くは石炭の産出、今は電子産業によって繁栄している都市である。ぼくは、きっと彼の生まれた中国南西部の砂漠地帯にいってみようと思っている。彼と酒を飲むと決まっていつもその話になる。広大な砂漠と果てしない空。夜になると星の灯りで大地が白く光る。銃を持っていかないと今でも盗賊に襲われることがある。盗賊が出てこないときはオオカミがやってくる。いろんな民族が交流しバザールがそこかしこで開かれている。日本の文明のふるさと。四駆の自動車を借りて砂漠を突っ走り、そしてまた戻ってくる。行きずりの村で羊の肉を食べる。遺跡を尋ねる。そして大地に寝そべる。きっといつかいきたい。そこへ行こう。

 

□□ 12月26日(火曜日) 新宿にて…

 今日は昨日と比べ体調はよかった。時間の経過がすべてよくわかるくらい神経が張りつめていた、ような気がする。だからあっという間に時間が過ぎた。そういうときは気分も乗っており、そのまま仕事を続けていけば何十時間でもやってられそうな気がするものである。しかし、世の中はそうそううまく行くはずもなく、ぼくは18時に会社を出て、新宿歌舞伎町界隈を歩いていたのであった。ま、これは会社の大先輩に誘われたというか、蛇の道はヘビというか。目と目があったらそういう関係になっていたというようなものでありまして、けっして逃避行ではありません。

 で、新宿丸井の裏手にある焼鳥屋で、刺身とイカの沖漬けを肴にして、ショーチューのお湯割りを飲んだ。この店、新宿の盛り場にあるにしては落ち着いた雰囲気で、茶髪のおにいちゃん、おねえちゃん達がほとんどおらず、サラリーマン風と、不義密通風のカップルしかおらず、料理もそこそこ美味しかった。その店を出たら、ラーメンでも食べようと(これは大先輩が言ったのですから)いうことになり。ぼくは、この時間ですからねえ、などといいながらシしょんべん横町の『若月』に大先輩を誘導していった。若月にはちょうどカウンターが二つ開いており、ぼくと大先輩は並んで腰をかけた。味噌ラーメンを頼んだ。ここは焼きそばも結構美味しいんですよ、とぼくがいうと、大先輩氏は、じゃ焼きそばも食べよう、てなわけで注文。結局ぼくは、ラーメンと焼きそばを食べざるをえなかったのである。

 ちなみに『若月』は最近のラーメンブームにあって、自家製麺の店ということで有名であるらしい。その麺は4ミリ幅の平たい縮れ麺。かん水の量も押さえてあるようで、食べるとツルツルとした食感がある。ほどよい縮れは、口の中でもったりとした感触を生み出す。欲を言えばもう少し腰がほしい。ところが味噌ラーメンのスープは、家のみそ汁みたいで、とても良い味なのである。酒さえ飲んでいなければ、ぼくはこのスープをすべて飲み干していたことだろう。よって採点は7点。ここの味噌ラーメン。ぼくは人形町の味源よりはずっとずっと美味しいと思う。是非一度食べて見てください。

 

□□ 12月25日(月曜日) 真好味…

 いつだって月曜日は眠い。それとは関係ないが、今日は久々の真好味でラーメン大盛り麺固めを食べた。美味いです。10点です。ホントにいいです。時間もあります。よって、今日はじっくり麺とスープを鑑賞しながら食べました。ここの麺は約3ミリの中細麺。麺の断面は四角。やや大きめの縮れが入っております。この縮れの部分がスープをがっちり捕らえ口の中にに絶妙な味わいを醸し出します。チャーシューはバラ肉(ではないかと思う)をひもで縛って整形したもの。中まで味がほどよく染み渡っており、箸で簡単に切っていける。厚さは約4ミリ。大きさは直径約10センチ。かなり大降りの肉でありますがしつこくなく、麺にまた良く合うのであります。

 スープは薄口のしょう油味。ダシがよくわからないのであります。魚系のダシのあの匂いはしません。新宿の武蔵とは全然違います。しかし、ひょっとするとホタテかなにかを使っているかもしれないという感じはします。ベースは鶏と豚であろうと思います。それにネギ、人参、ひょっとするともう少し甘みの出る野菜を使っているかもしれませんが、そのあたりがよくわかりません。しかし、実に見事なスープでありまして、コショウなど決してふってはいけません。問題があるとすればその他のトッピング。シナチク、ネギ、そしてサヤインゲン。ぼくはサヤインゲンは不必要と判断します。ミスマッチです。さらにいうならばシナチクもいらない。ネギとチャーシューだけで十分。それだけで後はスープと麺を楽しむだけ。

 ま、そんなことで昼ご飯を会社のラーメン仲間と一緒に取り、再び会社の人となったのであるが、眠かった。夕方、秋葉原に立ち寄り、マサキが欲しいというソーテックのPCステーションを買った。マサキにはMacカラークラシック2を与えてあるが、どうやら友達と同じWindowsのマシンの方が良いらしく、前々からせがまれていたのである。しかし、こちらとて買って与えられるほどお金を持っている訳ではない。そこでマサキに返済計画を作らせて、自分の小遣いの中から代金を工面し返済させることにした。ぼくとしてもマサキが性能の良いマシンでもっと別なことに目覚めてくれれば、その方が面白い。そうなると次はタクヤかもしれないけどね。いや、トモカかな。

 

□□ 12月24日(日曜日) クリスマス…

 朝方は氷点下になっていた。オーニングの下で寝ていたのにもかかわらず、ぼくのシュラフにも霜が降り白く凍っていた。キャンプ場は静かで焚き火の煙が真っ直ぐに立ちのぼっていく。9時近くになって谷間に日が射してくる。一斉に水蒸気が立ちのぼり、あたりが暖かくなっていった。お昼を少しすぎた頃、キャンプ場を後にした。

 夕方、我が家で子供達のクリスマスパーティが始まった。キャンプ仲間2世達のパーティである。トモカの手作りのケーキとおにぎり、唐揚げ、フルーツ、ピザなどを食べ、それからみんなでワイワイとトランプゲームなどをやっている。

 

□□ 12月23日(土曜日) 最後のキャンプ…

 今年最後のキャンプに行った。青野原オートキャンプ場である。昼過ぎに現地に到着すると、キャンプ仲間がすでに焚き火を燃やして暖をとっていた。ぼくは、スーパー『すえひろ』で買ってきた食材と、大宮の友人が贈ってくれた日本酒を持っていった。日本酒の箱を開けてみたら『久保田萬寿』だった(とっても良いお酒ありがとう。大宮の土屋さん)。早速、丸干しなどを炭で焼いて肴にし、久保田を飲んだ。そうしていたら、昔キャンプで食べたトンカツが美味しかったなあ、などという思い出話しに花が咲いた。町田のテールウォーク氏の揚げるトンカツは元職人芸である。20世紀を締めくくる料理はやっぱりあのトンカツだ、ということになった。幸いにもぼくはカクキューの八丁味噌を持ってきている。これさえあれば味噌カツ丼も食べられるということになった。

 さっそく『すえひろ』に買い出しに出かけた。豚肉はテールウォーク氏が1.5キロの固まりを見定め、ぼくと浅太郎氏でその他の食材を買い足した。豚ロース肉の見定め方を教えてもらった。簡単にいうとロース肉の最も美味しい部分は豚の首と腰の中間点よりもやや頭よりということになるのだが、ふつうにスーパーのパックで売っているスライスされた肉を見てどの部位に相当するかを見極めるのは至難の業だ。プロは赤身と脂身の比率と脂身のパターンで判断するのだそうだ。なるほどそういうことか。さらに、トンカツを揚げるときの油はラードを使う。100%ラードである。こうすると衣がシャクシャクとした軽快な歯触りで、かつ柔らかくジューシーに揚げることができるのだそうだ。

 ぼくは味噌カツ丼用に八丁味噌とみりん、酒、砂糖を調合した。ちなみに、今日の味噌カツ丼は名古屋は矢場町にある『やばとん』の味を目指した。ちなみに名古屋地方で最も人気のあるカツ丼といえば味噌カツ丼である。これはどんぶりご飯の上にトンカツをデンと乗せ、その上から甘辛く調合した味噌ダレをタラーリとかけたものがふつうのパターンである。しかしながら『やばとん』の味噌カツ丼は、揚げたてのトンカツをやや薄めの味噌ダレにくぐらせて、そのままご飯にデンと乗せる。これが美味い。さて、トンカツが次々に揚げられ、ぼくらは味噌ダレ、ソースを好きなようにトンカツにぶっかけて、炊きたてご飯を書き込んだ。さらに赤だしのナメコ汁を作って、まさにコテコテの東三河の味を楽しんだのであった。

 お腹が一杯になってから焚き火の周りでイスに座っていたら、そのまま寝てしまいそうになる。お茶を飲みつつ四方山話に花が咲いた。空に星がまたたいている。この天気ならいつものようにテントは張らず、地面にコットを出してそのままシュラフにくるまって寝よう。しかし川辺のサイトである。夜露がどんどん降りてきている。ぼくは了仁氏のキャンピングカーのサイドオーニングの下にまさにひさしを借りる形で寝ることにした。

 夜中の12時頃、キャンプ場にチャルメラの音が響いた。キャンプ場に軽トラのラーメン屋台がやってきたのだ。主人に聞けば第2第4土曜日にはたいていやってくるという。さっそくラーメンを注文した。軽トラの荷台が簡易調理台になっており、湯気とともに良い匂いが漂ってくる。タマネギと人参あたりが茹でられているものと思われる。ニンニク入りのラーメンを焚き火の周りで食べた。食べ過ぎて胃がもたれた。そろそろ焚き火もおしまいとなり、ぼくはシュラフに潜り込んだ。

 

□□ 12月22日(金曜日) 飲みました…

 仕事帰りに飲んだ。夕方6時にもなるとすっかり周りは暗くなる。しかし時間が時間だけにそんなにお腹は減らない。久しぶりに浅草橋界隈に出向き、まずはちいさな中華の店『一番』に入った。ここは昔、ぼくの勤める会社がこの近所にあったときよく来た店。店には日本語の良くできる中国人のおかみさんがいて、なかなか愛想が良かったが、今日久しぶりにいってみると、そのおかみさんの姿は無かった。いつものように三色前菜などを頼み、ビールに続いて紹興酒を飲んでみたが、どことなく料理の味がかわった気がした。経営者を含めてコックもみんな入れ替わってしまったのだろうか。

 その後、K君が『モヤシが食べたい』などとでかい身体を震わせていうものだから、じゃあ、というわけで2軒目に案内した。『加賀屋』という店である。ここも、昔、千切りサラダの敏ちゃんなどと良く寄ったところだ。ホッピーが置いてある。この店の豆モヤシと豚肉のスタミナ焼と、そして良くしゃべる小柄のおばちゃんが名物(だとぼくは思っている)。おばちゃんは久しぶりに来たぼくのことを覚えていて、なんだか久しぶりじゃないの、などとしゃがれた声でご挨拶だ。敏ちゃんと来るときは、2人で豆モヤシ1つ。スタミナ焼き2人分を注文する。豆モヤシは一本一本食べる。小さな小鉢に(数えたことはないが)250本程度の豆モヤシがキムチ色に染まってかしこまっている。そして豆モヤシをサカナにしてホッピーを立て続けにおかわりする。空きっ腹にホッピーを2杯程度飲み干すと、すぐに頭がクラクラしてくる。そうしておいて次にスタミナ焼きを食べつつ、ホッピーをさらに1〜2杯飲む。そうすると一人2500円くらいで簡単に酩酊状態になれる。今日はすでに中華を食べてきているので、ショーチューの効きも悪いみたいだ。ぼくはホッピーを3杯くらい飲んだ。ほぼ酩酊的になったぼくらの写真である。店のおばちゃんの小粋な眼鏡を借りて撮影した。見たくない人はクリックしないほうがよろしかろう(あたりまえか)。

 てなことでまたしても飲んだ(このフレーズ久しぶりだ)のだった。

 

□□ 12月21日(木曜日) 時間と金…

 一日中会議だった。

 ここのところまったく寒くない。おかしな冬である。もう後少しで年が変わる。世紀がかわる。そんなことを声高に叫んでいるのはテレビだけのような気がする。実生活はそんなことでしみじみしているほど悠長ではないのだ。我が家も家のローンを払うと待ちに待っていたボーナスも消えて無くなってしまう。あと一台、中古パソコン買おうよ、などとわが妻に申し上げているところだが、まったく許可がおりない。子供の教育にはあいかわらずお金がかかる。マサキは冬季講習だといって予備校に通っている。タクヤはこれも週2回学習塾に通っている。トモカは何もしていない。トレーニングジムに行ったり行かなかったり。ぼくにはお金はかからない。しばし『ラーメンの美味しい訳』を考えているだけ。

 

□□ 12月20日(水曜日) 八丁味噌…

 今日は岡崎に出張である。目覚ましの音が遠くで聞こえたが、なかなか起きあがれなかった。マオタイ酒の臭いが消えていない。頭の芯が痛い。食欲無し。それでもなんとか起きあがり、わが妻の入れてくれたお茶を飲み、家を出た。東京駅に着く頃になってようやく体調が復調。お腹が減ったので、東海道新幹線19番ホームの端っこにある立ち食い蕎麦の店に入った。ここの蕎麦は今は無きあの上野駅13番ホームの立ち食い蕎麦の味に似ていて、ぼくはそこそこ好きなのである。食べるのはイカ天蕎麦。暖かいツユが胃に流れていくと身体が弛緩していく。この感じだと名古屋まですっかり寝てしまうかもしれない。案の定、そうだった。気がついたら三河安城駅をすぎるところだった。

 名鉄で東岡崎に行き、それから仕事。今日も順調。夕方駅に戻りカクキューの八丁味噌を買った。ちなみに八丁味噌という名前を使うことのできるのは岡崎のカクキューとマルヤ(だと思ったけど)の2軒の味噌屋だけ。その他の味噌屋では八丁という名前を使うことはできない。実はこれ登録商標なのだ。ぼくはいままで岡崎地方の味噌のことを八丁味噌と呼ぶものとばかり思っていたのだが、そうでは無いのだ。商品名なのだったのですね。なかなか面白いじゃありませんか。さて、そのおみやげの味噌を持って再び新幹線。乗ってすぐに寝てしまった。気がついたら有楽町。今日はホントによく寝られた。

 

□□ 12月19日(火曜日) 百人町…

 夕方、新宿百人町の屋台村で飲んだ。キャンプ仲間の某R氏がめでたく昇進したので、さっそく奢ってもらおうと急遽仲間が集まったのだ。パソコン通信的にいうとオフ会というものだ。久しぶりにキャンプ仲間が集まったのと、しばらくこの百人町に来ていなかったこともあって、つい今日が火曜日であることを忘れてしまい飲んだ。ぼくは他の仲間より少し遅れて屋台村に到着したのだが、生ビールを2杯とマオタイ酒をグラスで一杯(これがあとあとまで効いた)を空けた。この屋台村は東南アジア系の小さな店が寄り合い所帯のように集まった店である。ぼくはタイ式チャーハンを頼んだ。それからいつものようにあーだこーだと話をした。10時半に場所をしょんべん横町に移してまた飲んだ。ちいさな焼鳥屋の2階で熱燗を2本くらい。お店のおすすめというツクネを食べ、またまた話し込んでいたら12時の鐘。小田急の最終電車で家まで帰った。家に着いたのが午前1時半。それから風呂に入りこの日記を書こうとしたがダウンしてしまった。

 

□□ 12月18日(月曜日) 痛っ!…

 人間ドッグに行った。今回は脳ドッグといって、脳の輪切り写真と血管撮影のオプションもつけた。朝8時にホテルニューオータニの岩井クリニックに到着。いつもは高円寺の河北病院に行くのだが、残念ながらそこでは脳ドッグの予約が取れず、やむなく診療所を変えた。いつも通り淡々とメニューをこなしていく。心なしか河北病院よりあっさりと進む。脳ドッグの時間になったので、別室に連れて行かれた。ベッドの上に寝かされ、でかい機械の中に滑り込むようにベッドごと挿入されていく。目の前10センチのところは冷たそうな金属である。そのうちゴンゴンゴンゴンという音が遠くで聞こえてきた。金属の機械の中で聞いているとなんとなく胎内にいるようで、眠気がさしてきた。と、そのとき、今度は頭の中に杭でも差し込まれるような馬鹿でかい、道路工事に使う削岩機のようなダダダダダダダダダダダダッという音がして、眠気が一気に覚めてしまった。それからは、やたらとでかい音の連続である。しかし、それにも馴れてくると次第にまた睡魔が襲ってきて、気持ちよくなったころに検査が終了する。検査といっても寝ているだけだからべつに痛くもかゆくもない。ぼくの脳の中の水素原子がブルブルと震えただけのことなのである。この機械は核磁気共鳴といって、水素原子に一定の周波数の電磁波を当ててやると水素が高エネルギー状態になって固有の電磁波を放出する。そのスペクトルを計測して脳の中身を造影するのである。頭の周りでゴンゴンゴンゴン、ガガガガダダダダ、と音が出ている間に、ぼくの頭が輪切りにされていたわけだ。

 その後、肛門検査である。ぼくはこれだけは女医さんにやってもらいたかった。なぜなら女医さんのほうが指が細い彼からである。しかしながら本日も担当医は男。節くれだった指をグリグリと入れられ、あっちこっちかき回されたあげく、今度はなにやら器具を挿入されて、中をのぞき込まれた。その間、ぼくは痛みをこらえ、涙を浮かべて白い壁を呆然と眺めているのであった。まだ痛い。そうして検査を終了した後、もらった食事券を使ってレストランで食事をした。食べているうちに下剤が効いてきて、トイレに駆け込んだ。コーヒーをかぶりと飲むと、お腹がグルグル。水を飲むとお腹がキリキリ。これほど下剤適性の良い身体も少ないだろう。はやくバリウムを全部出してしまいたい。ところで、今日のバリウムは美味くなかった。何回か人間ドッグを受けたが、これほど不味いのも珍しい。いつもならお代わりをするはずが、できなかった。このぼくをして手がでないバリウムも珍しい。

 

□□ 12月17日(日曜日) 寒い一日だった…

 寒い一日だった。本当は山に行きたいとか冬のキャンプ場でキャンプしていたいなどと思っていたのだが、やはり身体が疲れているのだろうか、重い腰がなかなかあがらず、結局わが妻と近所にできた大きなDIYの店に行ってみただけだった。開店したばかりとあって客の数は多く、でかい店の割には店の中が楽しくないので、ぐったり疲れてしまった。秋葉原の街やアメリカ並に大きなスーパーなどは込んでいても疲れないのに。この店も早晩、壁に突き当たることだろう。

 明日は人間ドッグである。今日はゆっくり寝ることにする。お腹が空いたけど、もうなにも食べられない。ああ明日、またバリウムを飲みすぎてしまいそうだ。

 

□□ 12月16日(土曜日) 日なたで一日…

 結局、起きられずどこにも行かなかった。それで、そうだ年賀状だ、と思い出し、一気にすべての年賀状を仕上げてポストに投函した。その後、Macの中にデジタル化して保管してある過去の写真を見ていたら面白くなってしまって、一日中子供達の写真を見ながら、わが妻と茶を飲み、団子など食べつつ、ひなたぼっこのような暮らしをしていたのであった。このままいくと明日も結局なにもしないでそのままということになるのだろう。

 

□□ 12月15日(金曜日) 牡蛎食へば…

 広島にいった。のぞみ号に座ったままいたらお尻が痛くなってしまった。宮島口駅前にある、『うえの』という老舗で『あなご飯特上1800円』を食べた。前回来たときは、別の店であなご飯1450円を食べたのだが、この『うえの』のあなご飯特上1800円は、月とすっぽん程度に味の違いがあり、ぼくはこれからは『うえの』のあなご飯をみなさんにお勧めする。これは美味しいです。ようやく広島のあなご飯が名物であると銘打つだけのことはあると納得した次第。

 さて、仕事の方は順調に終わり、夕方5時半に広島駅に戻った。空港行きのバスを待つ一時間の間に、駅ビルにある店で、カキフライ、カキのバター焼き、酢ガキ、カキの浜焼きなどを食べ、賀茂鶴の冷酒をグイッと飲み干したら、果てしなく酔った。空港に着いたら、まだ時間が30分ありますよ、などという若い衆の言葉に惹かれてレストランでビールとカキの味噌焼きをいただいた。

 さて、そろそろ搭乗時間が来たからと手荷物検査をパスしようとしたら、係員に呼び止められ、カバンの中身を見せろというではないか。なんだなんだと思ったら、ぼくのカバンに常備しているハサミが引っかかったのである。刃渡りが8センチ以上のものはダメだそうで、ぼくのハサミを計ったら8センチ7ミリあった。即座に没収され、黄色い袋に入れられたハサミは乗務員の手に渡ってしまった。引換券と交換に羽田で戻されるということであった。いままで、こんなことはあったかなあ。と考えてみたが、そういえば最近、チェックが厳しくなったという新聞の記事を見たような記憶があるが定かではない。ま、これも経験と思ったが、そんなことをしている間にマイレージを登録するのを忘れてしまったではないか。

 忘れたといえば、広島に行ったときに乗ったのぞみ号にマフラーを忘れてきてしまった。今日は絶対にカキを食べようと思っていたから心に隙ができてしまったのかもしれない。なにせ羽田から新百合ヶ丘行きのバスに乗って新百合ヶ丘駅に到着するまでマフラーのことを忘れていたのだからしょうがない。

 そうそう、羽田から新百合ヶ丘までハイウェイバスを使ったのだが、正味時間1時間。夜だからいいものの、昼間だったら倍くらい時間がかかりそう。いろいろな乗り物を乗り継いでいくことを思えば、羽田から我が家までおよそ20分程度余計にかかるが楽かもしれないなどと思った。で、今帰って(0時少し前)来てさっそく、日記をしたためております。明日は山に行こうと思ったのでありますが、ううむ、ちょっとどうでしょう。

 

□□ 12月14日(木曜日) 忘年会…

 我が部署の忘年会兼歓送迎会であったため、この日記をしたためることができなかったのである。この時期に忘年会というのは良くあることなので、詳細は割愛する。しかし、歓送迎会というのは珍しいのではないかと推察する(ほどのことでもないか)。派遣社員の女性が二人辞めていくのである。辞める動機がぼくには不可解なのである。彼女曰く『職場が良すぎて辞めようと思った』と、まあ、煎じ詰めればそういうことである。これは『あなたは良い人すぎるから私には合わないの、だからおつき合いできないの』などという、ラブストーリーそのままの展開なのではないかと思ったのである。逆に『あなたなんて嫌い、でも別れられないの』というような状況に持っていくべきなのかどうか。わが妻もパートに出ているが、こちらの場合は、『ホントに面白くない職場だけど、他にいくところもないから我慢しているの』というような状況であり、かの女性とは根本的に異なる環境におかれていることも事実なのである。で、結局ぼくはかの女性が結局なぜ職場を去っていくのかまったく理解できぬまま、二次会に突入していったのであった。

 

□□ 12月13日(水曜日) 常陸の国…

 茨城県の大甕(おおみか)という町にいった。水戸の北、ひたちなか市にある(よね?ちょっと不安)。日立港に近く、巨大企業日立のお膝元というところかもしれない。上野からスーパーひたちで約1時間半いくとやたらと空が広い駅に着く。駅前には小さなロータリーがあって、不釣り合いなほどたくさんのタクシーが停車している。あとで聞いたらタクシーの運転手は『不景気だからねえ、多いんだ』などと話していた。駅前のトンカツ屋で昼ご飯を食べた。同行のM君と週刊現代に掲載された森首相と暴力団幹部の写真を見ながら、まったくどうしようもないなあ、などと話をする。タクシーで今日の目的企業に赴き、さて仕事だ。

 星が瞬きはじめたころ駅に戻った。駅前の雑貨屋兼酒屋で熱燗コップ酒とつまみを買ってスーパーひたちに乗った。車内で熱燗をグイっとやった。ほっと一息。窓のむこうにポツリポツリ、家の明かりが現れては後ろに消えていく。ぼくは暗闇から現れては消えていく駅の灯りや、遠くの道を走る自動車のヘッドライトを眺めているうちに寝てしまった。気がついたら上野駅7番ホームに到着していた。なんとなくお腹が空いたので立ち食い蕎麦を食べようかと思ったが、あの店はもう無くなっている。そのまま中央線を乗り継ぎ、家路についた。

 『田舎情報』という隔月刊誌がある。どういう風の吹き回しか、その雑誌でぼくのホームページを紹介してくださるそうです。なぜ田舎情報とぼくのキャンプ雑記帳が関連するのか、それは田舎情報を読んで見てください。実はぼくもあまりよくわからないのであります。ただ、とても面白い雑誌だと思っております。それで、ぼくとしては初めてですが、田舎情報バナーを貼りました。もちろんボランティアでございます。

 

□□ 12月12日(火曜日) 月と山…

 朝。東から日が昇って来た(あたりまえか)。布団から出て、玄関ドアを開けて新聞をとろうとしたら、西に大きな月が沈もうとするところだった。月は東に日は西に、というのなら知っているが、その逆だ。空はこれから青くなろうとしており、薄赤い山の端が遠くに見えた。綺麗だった。ああ、山があるなあ、と思った。太陽が昇りきると朝の喧噪がやってきた。いつもの通り会社に行った。今日も疲れた。やたらと酒でも飲みたい気分になって、だれかを誘おうかと思ったが、めぼしいところがダレもおらず、意気消沈しながら家に帰った。

 

□□ 12月11日(月曜日) ブルーマンデー…

 布団が気持ち良い季節になった。もこもこふかふかして暖かくて外にでたくない、などと思っていたらいつもより1時間も寝過ごしてしまい、大慌て。朝ご飯たべず会社に直行。なんとかセーフ。そしてコーヒーを一杯。やれやれ。さてそれから仕事仕事仕事。夜8時。終了。電車に乗って帰る。電車は満員。ぎゅうぎゅうすし詰め。背後の女子大生が今日のTVドラマの話。きっと我が家もみんな見ていることだろう。そういえばこのところお酒を飲んでいない。そうだ、14日に忘年会だからといって会費を徴収された。派遣の女性が辞めるのでその送別会も兼ねているともいってたっけ。ぼくの体調はすこぶる良い。今週も出張があるが、このままの調子でいきたいもんだ。なんとか16日には山に行きたいと思っているけど。どうだろうか。

 

□□ 12月10日(日曜日) 負けた…

 天皇杯第3回戦は国立西が丘競技場でヴァンフォーレ甲府を迎えておこなわれた。ぼくとわが妻は10時半に家を出、赤羽から国際興業のバスに乗って競技場に行った。国立競技場とはいえ6000人そこそこしか入れない西が丘。正午過ぎ、すでに半分くらいのスタンドがサポーターで埋まっていた。一時はポツリポツリと雨が降ってきていたものの、試合開始のホイッスルが鳴る頃には綺麗に晴れた。相手は格下のJ2ヴァンフォーレ甲府である。負けるわけはない。今日は来期すでに戦力外通告を受けているゴールキーパーの堀池が先発で出場しサポーターを沸かせている。ツゥットも陽気にふるまっている。彼も来期は移籍が決定している。アマラオも残留が決まって落ち着いた様子である。今日は綺麗にすぱっと勝ってくれるだろう。そうして来年1月1日は霞ヶ丘で決勝戦だ。

 しかし、試合が始まるとそんな思いは一転した。いかん、この統率されてない動きは負けパターンである。ボールが真ん中から出てこない。MFの増田にボールがわたってもキープできない。苦し紛れに出したパスをカットされる。FWは前に来ないボールを取りに中盤まで下がる。そうすると攻めあがるのに時間がかかる。ツゥットはあいかわらず真っ直ぐにしか動けないから2枚、3枚と重なる相手のDFを突き破ることができない。シュートはことごとく枠からはずれる。

 嫌な予感。サポーターも沈黙が続く。なんとか互角に終わった前半。ヴァンフォーレあたりと互角ではしょうがない。後半の奮起を期待しよう。その思いが通じたのか、いよいよ東京の怒涛の攻めが続く。しかしパスがつながらない。喜名のところでタメができない。喜名を小池に換えてみたものの、もう遅い。後半30分頃、相手のコーナーキックから一点先取され、いよいよ崖っぷち。あがいても焦ってもボールは意のままにならず。結局まさかの敗退。うなだれる選手達。サポーターからは久々のブーイング。終わってみれば、ぼくも全然アドレナリンが分泌されておらず。なんだかちっとも燃えなかった。こんな試合をしていたら来年はJ2に落ちる。

 これで2000年の全試合が終了したわけだが、なんともあっけない幕切れだった。今シーズンの前半は東京旋風が吹き荒れ、J1でも十分戦えるのではないかと思わせてくれた。しかし、それもセカンドステージに入ってからは期待を裏切った。ずるずると負け続け、結局年間総合で7位という順序を確保はしたものの…。ええい、もうそんな愚痴はやめよう。来シーズンは東京スタジアムだ。楽しい試合に期待しよう。フォルツァ!東京!

  □□ 12月9日(土曜日) 年賀状開始…

 マンションの理事会があった。2ヶ月半にわたっておこなわれてきた我がマンションの排水管修繕工事が終わったのである。マンションの設備を一斉に修繕するというのは、とにかく大変なことであるということがわかった。個人の家なら全工程5日暗いの工事なのであるが、それが50軒もの家が集まるとそうそう容易くはない。自分の家の工事をするときには誰かがいなきゃいけない。しかも複数の家をまとめておこなうからそのうち一軒が不在でも工事が進まない。全員が足並みをそろえて工事に対処しなければいけないわけだ。そういう点で我がマンションの住民のみなさんはとても優秀で、結局スケジュールがまったく遅れることなく完了したのであった。さすが日本人。拍手。

 午後からそろそろ年賀状の準備をしなければならないと、いざペンをとってはみたものの、なかなかスラスラと書けるものではない。結局(いつものことだけど)宛名はパソコンでヒュウヒュウと印刷してしまった。新しいプリンターは静かにかつすばやく文字を打ち出していく。顔料系のインクの発色もなかなかよろしい。やっぱりこれでいこうと思うのであった。しかし、いつものことだけど、本当に出すべき友人や親戚には心を込めて仕上げようと思う。しかし、仕事上のつきあいだけの相手には、それを書こうとするだけで疲労してしまう。どうかと思う。だったらやめたらよろしいのに。なんでやめられないのだろうか。やっぱりなにか良いことがあるだろうと思っているのだ。実際、年賀状だけでも交換しておいて良かったな、と思うこともたまにはある。そのために書いているのだろうか。ううむ、ちょっと違う。年賀状。これはちょっと手強い。

 

□□ 12月8日(金曜日) 新潟は雨…

 東京はとても良い天気だった。上越新幹線が長いトンネルを抜けて日本海側にはいったら空は厚い雲に覆われ、長岡をすぎたあたりから雨になった。2日前にはうっすらと雪が積もっていたらしい。寒くて思わずコートの中に首を縮めた。『この時期はほとんどこんな天気でね、だからこっちの人は色が白くて、性格は暗いんだよねえ』などと自嘲気味に話す相手に、否定も肯定もできない。今日の仕事も順調に進んだ。今日は、先方の工場長がパソコン好きな人だったので、話が早く進み、作業が予定の半分の時間で終わった。若干拍子抜けするくらいだった。空からはあいかわらず冷たい雨が降ってきており、新発田駅ホームのイスに座っていると寒さがジンと身体にしみてくるような感じだった。新潟の駅はほとんど素通りして新幹線に乗った。東京にもどると綺麗な月が空の真上で黄色く光っていた。

 

□□ 12月7日(木曜日) 寒い帰り道…

 会社から家に帰る途中、ちいさな軽のワゴン車が停車していた。運転席でハンドルを握っているのは、年の頃なら70歳を過ぎたと思われる銀髪のおじいさん。助手席にはその奥さんと思われるご婦人。一生懸命になにかとにらめっこしている。どうやら伝票のようなものだ。ふとワゴン車の荷台をみると小包が重ねられて積み上がっている。つまり宅配をしているということだ。よく見れば二人とも紺色の制服のようなジャケットを着込んでいる。ぼくはその様子を見て、微笑ましくてうらやましかった。

 明日は新潟に行く。

 

 □□ 12月6日(水曜日) 上州の蕎麦…

 朝4時45分に起き、7時のあさま号で高崎に向かった。今日は上州で仕事だ。西に妙義山のごつごつした稜線が見えた。妙に空が広くて雲が少なかった。空からジェット機が落ちてきても不思議じゃない。そんな遠くて近い空だった。お昼過ぎまで仕事をして、高崎市内にもどり、手打ち蕎麦の店にはいった。梅の花という店だ。蕎麦を3人で1升注文。1升というのがどれだけのボリュームのことを指しているのか判らないが、出てきた蕎麦は直径40センチくらいの丸いザルにずどんと盛られていた。固くて美味い蕎麦だった。3人で食べ終わって、次に5合追加した。5合というのがこれまたどういう量になるのか判らない。出てきたのは30センチくらいの丸いザルに盛られた蕎麦だった。それをまた3人で食べたら、もうお腹はパンパンになってしまった。この感じは盛岡のわんこ蕎麦60杯くらいの感じだ。ということはだいたい盛り蕎麦5枚弱ってところか。

 そして東京に帰ってきたら4時すぎていた。ううむ、これからどうしようかはたと迷った。このまままた会社に行ってもいいが、なんか中途半端である。ここは、朝7時に電車に乗ったことに免じて1時間早く帰らせてもらうことにした。ところが、この時間に家に帰ったのでは、わが妻が『どうしたの?会社でなんかあったの?嫌になったの?』などといらぬ心配をする可能性がある。そこで新宿に出た(新宿ってのがあやしいなあ)。歌舞伎町はコマ劇場前広場に出た(なんで歌舞伎町なわけ?)ら、ちょうど映画スペースカウボーイの始まる時間だったので、ふと見たくなって、映画館に吸い込まれてしまった(ホントです)。

 映画館はガラガラで、クッションの良いイスに深く座るとおもわず腰のあたりから溶けそうに気持ちよかった。疲れてるのかなあ、などと思ったのだが、映画が始まったらスクリーンに魅入られていった。この映画は40年前に宇宙に行き損なったパイロット達が宇宙に飛び立ち、故障したロシアの通信衛星を修理に行くのだが…、というようなストーリーである。主人公達はもう70歳になろうという男達4人。しかし歳は取っても宇宙への夢去りがたい少年だ。そう思えばいい。けっこう笑える。スリルとサスペンスという点ではひまひとつだが、ボーっと何も考えずに2時間ほどぼんやりできてなんだか少し楽になった。これって、相当疲れているということだろうか。そんな自覚はないのだけどね。

 ここまで来たことだし、武蔵に寄って味玉チャーシュー麺でも食べようかと思ったが、なにせお昼の蕎麦がまだ胃に残っている。なにも食べる気がしない。そのまましょんべん横町を横切って新宿駅にもどり、小田急線に乗った。

 

□□ 12月5日(火曜日) ああ、また消えた…

 午後から大宮で仕事だった。それで正午少し前に会社をでて日比谷線で上野駅にいった。切符を買って13番線ホーム横の立ち食いそばの店にいった。そしたら店は無かった。その場所は便所になってしまっていた。立ち食いそば屋がなくなって便所。ぼくは驚くと同時にいかにもその変化が上野らしくていいや、と思った。最近は味が落ちていたとはいえ、あの店が無くなるなんて思わなかった。20年も前からぼくにとってはひとつのお気に入りだった。食べ終わると同時にツユがなくなる麺。やたら衣ばかりでかいイカ天。甘辛くてどす黒くカツオだしの効いたツユ。畑でとれたばかりのような刻みネギ。かけ声でリズムをとっているカウンターの中のおばちゃん。あれやこれやと小うるさい店内。ひっきりなしに入ってくる無愛想な客。そのどれもが上野駅の田舎っぽさと暖かさを半分づつ持ち合わせていた。またひとつ消えてしまったなと、ぼくはため息。9番線に上り、ホームの立ち食いそばを食べた。もちろんイカ天そば。ああ、この味は13番ホームの味と一緒だ。ま、それでいいかと思った。

 大宮ソニックシティのチケットセンターに立ち寄り、10日の天皇杯第3回戦の前売り券を買った。今度の試合は国立西が丘競技場でおこなわれる。この競技場はピッチがすぐそこにあり、選手の息づかいも聞き取れる。ここで、残留の決まったアマラオをたたえ、移籍の決まったツゥット、神野、浅野達にエールを送ることにしようと思っている。

 それから仕事。夕方家に戻った。

 

□□ 12月4日(月曜日) 長い一日…

 7時少し前に目を覚ましたら、カーテンの陰からとても綺麗な陽の光が射し込んでいた。ぼくは昨日とうってかわって今日はとても天気が良いのだと思った。窓に顔を近づけると外の冷気がガラス越しに感じられた。ぼくはベッドの中から部屋のエアコンのスイッチを入れた。しばらくそのままで、本を読んだ。またしばらくすると腹が減って、地下の食堂に降りた。ドン、という感じで和食の膳が目の前におかれた。たっぷりの白飯は艶があって美味かった。時間になったのでタクシーで仕事先に出かけた。夕方6時過ぎに仕事を終え、ふたたび新幹線に乗った。車内でまた本を開けたが、すぐに眠くなって気がついたら東京駅だった。小田急電車はむちゃくちゃに込んでおり、隣のおじさんも若い女性も殺気だっていた。家について作りたての自家製チャーシューで味噌ラーメンを食べた。チャーシューは昨日出かける前にぼくが仕込んでおいたものだ。絶品。

 子供達とわが妻は今TVを見ている。なんとかいう若いスチュワーデスが金持ちの結婚相手を捜して、嘘に嘘を重ねていくという設定らしい。嘘つきなのにこの子どうして憎めないのかしらね、などと話している。ぼくは、MP3を再生しながらこれを書いている。しかし、このMP3プレーヤー、クラッシュすることがある。そうなるとMacというのは爆弾マークが出てシステムがクラッシュしたことを知らせる。そうなるともうダメ。なぜそうなるのか調査しないといけない。Mac愛好家のみなさん、MacMP3プレーヤーはクラッシュしていませんか?

 

□□ 12月3日(日曜日) 前泊…

 午後から東北新幹線で那須に出かけた。仕事で前泊なのである。夕方西那須野のホテルに着いた。もうH君がホテルのロビーに来ており、さて、行きましょうか。ということになった。昔からなじみの焼鳥屋はさすがに日曜日ということもあって休みだった。駅前の寿司屋で久しぶりに乾杯した。つもる話などをしながら、最後にもりそばを食べてホテルにもどった。部屋にもどって本を読んでいたら、そのまま寝てしまった。

 

□□ 12月2日(土曜日) MP3…

 午前中、新宿のソフマップに行って、プリンターを買った。いままで使っていたレーザープリンターが壊れてしまったからだ。今度はご多分にもれずインクジェットプリンターにした。いろいろと事前に調べて買ったのはHPDeskjet957cである。これは印刷速度が速く発色も良いということで最近はなかなか評判がいい。28000円くらいで両面印刷機構もついている。接続はUSBだが、USBポートはこの前拡張ボードを入れたばかりだから4つある。箱から出してインクカートリッジをセット。ドライバーをMacにインストールして接続しテスト印刷。ばっちりOK。これでようやくうちにもカラープリンターが入ったというわけだ。

 ついでに買ってきたMP3エンコーダーソフトMacMP3をインストール。さっそく気に入ったCDをエンコードしてハードディスクに貯め込んだ。圧縮されたとはいえ一曲が2Mくらいの大きさになるがまだまだ余裕のハードディスクだ。CDの曲をMP3にしておくことのメリットは、CDディスクを入れ替えることなく、簡単にいろいろな音楽が再生できるということと、デジタルデータならではの加工再生ができることである。ボーカルだけ消してカラオケモードにもできてしまう。ぼくの場合はこうしてパソコンに向かって日記など書きながら、あるいは本荘まなみの写真集などを再生しながら、ただ音楽がながれていればいい。外部スピーカーをもう少し良いものにしたくなったが、それはまたの機会にしよう。

 今日はとても寒く、ぼくは綿のシャツの上にフリースのベスト、さらにトレッキングジャケットを羽織っていたのだが、ジーンズではでおうにも足が冷えて、ついにまた以前から痛めていた右足がおかしくなってきてしまった。明日は那須に行かねばならない。今日は風呂にはいって暖まって本でも読んで、そして寝ようと思う。

 

□□ 12月1日(金曜日) 桜鍋…

 深川の近く、森下で桜鍋を食べた。桜鍋と聞いて『寄せ鍋』のような鍋を予想していたのだがハズレた。それは馬肉のすき焼きだった。美味かった。店の名前は…忘れた。確か馬って字があった。都営地下鉄大江戸線に乗ると、この店を紹介した釣り広告があるらしいから、一度探してみてください。さて、玄関を入ると下足番のおじさんが下足札をくれる。いまどきめずらしい。土間で靴を脱いであがると広い畳敷きの部屋になる。そこに縦に2列、古いテーブルが並んでいる。テーブルの上には等間隔にガスコンロがおいてある。すべて使い込んであるが、きれいに掃除が行き届いている。

 さっそく桜鍋を注文すると、直径18センチくらい、深さ2センチくらいの鉄鍋に肉がぎっしり詰まって出てくる。別皿に糸こんにゃく、麩、ネギがあり適宜鍋に放り込むようになっている。肉の上には赤味噌のタレがドロリとかかっており、これを溶かして鍋の割り下に混ぜる。鍋がグツグツいってきて肉にほどよく(ミディアム程度に)熱が回ったら、溶き卵に肉をつけて食べる。肉はロースといってもほとんど脂身はない。臭みもなく、つるりと食べられる。ミソの溶けた割り下が良い風味である。美味しい。お酒がほしい。

 ぼくは、ワインと熱燗を飲み、桜鍋のほかに厚焼き玉子と馬肉のタタキをつまみにして9時の閉店まで楽しんだ。桜鍋一人前1800円である。一度食べてみることをおすすめする。玄関の土間のところで下足番のおじさんが下駄箱から靴を出してくれる。まいどありがとうございます、というおかみさんの声に送られて外に出ると、東京下町の風情である。近くのやきとんの店は行列ができている。煮込みがすこぶる美味しい店らしい。こんど来てみようなどと思いつつ都営新宿線に乗った。